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マイセン コースター |
マイセン
世界的に有名な陶器のメーカーです。マイセンのことは調べていただければわかるので今回は書きません。マイセンと僕の思出を書きます。
東ドイツ、西ドイツの時代に東ドイツで組み立て家具を作ろうと思い、友人にたのみ東ドイツ、ベルリンにいきました。ベルリンの空港には第二次世界大戦の戦勝国の飛行機しか離着陸できませんでした。ドイツのルフトハンザ、日本のJALは離着陸できませんでした。ベルリンのブランデンブルク門の近くにマイセンのお店がありました。お店では中年のおばさんが東ドイツマルクの束をを持ち、片っ端から買っていました。価格を見るとけっこう高額で買えず店をでました。店を出ると若者が『チェンジチェンジ』といいながらゆっくり歩いています。僕がすかさず交換レートを聞くと西ドイツマルクが1だと東ドイツマルクが3。1万円が3万円になったようなものです。すかさず交換して買えるだけマイセンを買いました。マルクの持ち合わせがなくあまり買えませんでした。購入したマイセンは今では20倍の価格になっています。夕食の支払いの時、東ドイツマルクがたりなく外へ両替にいきました。何と1対7でした。(1万円が7万円)このレートでマイセン買えたらと悔しい思いをしました。西ドイツの友人に、
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現在売られている陶器のプリント |
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マイセンの包装紙 |
にいきようようとこの話しをすると、『俺は1対11で交換している』(1万円が11万円)やられた。このときはまだ壁がありました。
写真はマイセンを購入した時の包み紙です。
剣のマークこれはバックプリント(陶器の裏に書かれているサイン)
剣のマークの下は作られた年号です。年号は陶器に書かれていません。
当時東ドイツに入る時必ず1日西ドイツ25マルク(金額が不正確)を、東ドイツマルクを交換させられました。東ドイツマルクは海外では交換できませんでした。